インスタに渾身のハッシュタグ、厳選したミュージックをつけた動画をアップしたがほぼ反応がなかった。
人の画像ばかり見せられて自分の動画は全く拡散しない。
どんなアルゴリズムで他人のデバイスに表示されるのかわからない。
自分の時間ばかり奪われ、物凄く損している気がした。
なのでインスタのアプリを消去した。
ただ、またやろうと思った時アカウント取得するのが面倒なのでアカウントは残すことにした。
SNSにしてもYouTubeにしても、いつの間にかプロのビジネスの主戦場となり、一般人は参加するより見るだけことも多くなりつつあるのではないだろうか?
投稿する以上はどうしてもいいねの数が気になってしまうのが人の性である。
全く反応がないのに投稿する意味はあるのだろうか?
自分だけの備忘録として何かを残すという意味はあるだろう。
だが公開設定をしているならば、どこかの誰かしらが記事を見て、何らかの印象を持ってもらうことを無意識に期待している。
人によっては自分だけでは辛いことを人に共有し、見てもらい、あわよくば共感してもらい、反応があることで乗り越えていることもあるだろう。
先日読んだ岸田奈美氏著「もうあかんわ日記」はまさにそれである。
その「他者からの反応」がないことや、あっても批判的な内容であったことに落胆し、自暴自棄になり犯罪に走ってしまうパターンを私たちはニュースで耳にしている。
SNSは革新的な発明だが、知らなくても良い無駄な情報、有害な情報が無秩序に流通し、好むと好まざると閲覧させられ、大量の時間を奪うシステムでもある。
閲覧者は際限なく刺激を求め、掲載者は虚構や過激に走る。
大人も子供たちも、放っておけば何時間でも見続けている。
タダで面白いものを見られていると思っているが、実は莫大な時間という資産を盗まれている。
人は知らず知らずのうちにSNSの奴隷となっている。
SNSにしても宗教にしても、自分の人生を豊かにするために自分が活用するものであり、自分が隷属させられるものであってはならないのではなかろうか。
暇さえあればスマホをいじる癖を辞め、じっくり思考したり、本を読んだり、人と語らったりすることがとても大切になってきていると感じる。
ビジネスに使っているのでもないのにいいねの数に思い悩むのは本当に無駄な心配であり、自分で自分を不満足にしていることだと改めて認識すべきだと思う。
そんなことを語らいつつ、それでもいいねが気になってしまう凡夫の私である