過去は終わったこと、未来はまだ訪れていないこと。
終わったことは憂いても仕方がない、訪れていないこと心配してもしょうがない。
自分が直接的に影響を与えられるのは現在だけ。
だから今を生きることが大切、
と言うのは宗教、哲学、その他の考えからよく言われていることのようだ。
では、未来の計画や目標を立てたり、何か夢をもつことは無駄なのか、ないしは良くないことなのか?と言う疑問が出る。
そのようなものを持つから、それが叶わないとイラついたり無駄な絶望をしたり、周りがおかしいとか運が悪いと思ったりするのだとも言えそうだ。
だがしかし、夢も希望も計画も目標も未来に対する何らかの思いがこれっぽっちもなく生きて行くとこが、人間には可能なのだろうか?
ヴィクトールフランクルの「夜の霧」にある極限状態の実在モデルからも、それらは間違いなく人が生きて行くためのエネルギーであり、全ての望みを失うことは生きるエネルギーを失うことだと推察される。
だが一方、成功したスポーツ選手などが「夢を持ち続けて諦めずに頑張れば必ず叶う」と子供達に言うのも違和感を感じる。
「成せばなる。成らぬは人のなさざるなりけり」と言う考え方はとてつもなく息苦しさを感じる。
どんなに努力をしても叶わない夢があるのが現実だ。
むしろ叶わない夢の方が多かろう。
叶わないかもしれないが、夢をもつことは大事である、それは生きてゆくエネルギーになるから、と言うことではないだろうか。
ではそもそも、生きてゆく意味は何なのだろうか?
叶わないかもしれない夢を抱きながら日々四苦八苦することに意味があるのだろうか?
絶対的な真実として、人生の終着点は死である。
いつか死ぬことを分かっていつつも、人は生きている。
だとしたら人の生きる意味は生きている間に生み出した実績、成果なのだろうか?
実績、成果を生み出さなかった人生には意味がないのか?
昨年甲子園で優勝した高校が今年は県大会で敗退したら、それまでの1年、野球をやってきた意味はないのだろうか?
ましてや甲子園に出られないチーム、そのチームに試合に出られない補欠、補欠にも入らないチームメートがいる。
その人達は無意味な時間を過ごしたのだろうか?
アイドルを目指し、何度もオーディションに落ち、夢を叶えられなかった人はそれまでの過程が無駄なのだろうか?
頑張っても結果を出せなかったら意味はないのだろうか?
それは違うだろう。
甲子園で優勝できるのは1校だけ。負けた全ての高校に野球をやってきた意味がないわけがない。
人は自らの幸せを希求し夢を見るが、それを掴めなければ意味がない訳ではない。
では、何に人生の意味があるのだろうか?
夢や希望を持ちながら、それが叶ったか叶わなかったかは大きな問題でなく、それに向けて日々ひたすらに生き、そのことを味わいながら満足し、自分の成長・熟成を感じること。
人生は目的のない旅であり、でも意味のある旅である。
夢を抱きつつ、目の前の一歩一歩を踏み締め、その感触を味わうこと。過去や未来を気にせず、逃れられない今に正面から向き合って、何かを働きかけること。
これが今、私がたどり着いた「生きる意味」であり、「今を生きる」ことだ。
結局ありふれた答えになってしまった。
だが、自分にとっては満足のいく考えだ。
それは自分がこれまでの経験や本で学んだ中から散々考え、自分でたどり着いた答えだからだ。
生きる意味、今を生きると言うことに絶対解はなく、自分で答えを見つけるしかない。
生きる意味に疑問を持ったら、とことん自分のアタマで考えてみることが、今までより少し自分の人生を豊かにするのではなかろうか?
以上