横須賀にある記念艦三笠である。
その昔は戦艦であったが、今は兵装を取り除き陸地に固定して保存しているので「記念艦」である。
日露戦争の日本海海戦(1905年)でロシアバルチック艦隊を破った大日本帝国海軍連合艦隊の旗艦(フラッグシップ)である。
三笠は国産ではない。
当時の日本はまだ近代的な軍艦の造船技術が発達しておらず、イギリスのヴィッカース造船所に発注して作ってもらったものだ。
国産ではないが、アジアの小国がヨーロッパの強国に勝利した海戦で活躍した、歴史的に重要な意味合いを持つ戦艦である。
明治35年(1902)3月に竣工、横須賀に回航され明治36年12月に連合艦隊に編入された。
翻る大日本帝国海軍大将旗。
船首部分。下に行くにしたがって前にせり出していく形が不思議な感じである。
船首の菊花紋章。これはレプリカだが、本物が船内に保管してある。
はためくZ旗。
東郷平八郎はこの旗に「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」という意味を持たせ、ロシアバルチック艦隊との対戦の前にこの旗を掲揚し、船員を鼓舞した。
スターン(船尾)部分のスターンウォーク。長官など偉い人だけが通れる場所だったようである。
右舷側から三笠を臨む。
対馬沖でバルチック艦隊と相対した東郷平八郎は、お互いの船隊がすれ違う形で近づく中、満を持して相手の行く手を阻むように艦隊の方向転換をした。これが世にいう東郷平八郎の丁字戦法、東郷ターンである。
丁字戦法は成功すれば相手に対し使える砲門の数が多くなり圧倒的に有利になるが、方向転換の最中は、最も相手の標的になりやすい欠点がある。
それでも尚その戦法を使ったのは、当日は波が荒く、艦隊間の距離もあるタイミングでは、砲兵の練度において日本に劣ると思われたバルチック艦隊が正確な射撃をするのは難しいだろうという計算あったということをどこかで見聞きした。
その日連合艦隊が出撃するとき、海況について「天気晴朗なれども波高し」と電信している。
ただ実際にはそのターンの後に連合艦隊は何発かの砲弾を食らっている。
ターンを終えた連合艦隊はバルチック艦隊に対して有利な陣形となり、怒涛の反撃に入る。その時バルチック艦隊が目にした三笠の姿はこの右舷側になる。
強国相手に伍して戦い、何としてでも祖国を死守するのだという日本男児の信念が伝わってくるような船である。
日本の将来を考え、最高度の訓練を積み、勇気を持って戦い、歴史的な勝利を得たこの船に触れると、決死の思いで戦った方々への畏敬の念と日本人としての誇りを感じずにはいられない。
だから、何か思うことがある時は、その時の兵士の誇りと勇気を感じてパワーをもらうために、この船を訪れたくなるのである。
以上